戦前の栄光と誇りを取り戻したい中曽根康弘元首相や、日本を「神の国」にしたい森喜朗元首相らが、いま浮かれています。長年の念願
だった「日本国憲法」改正のめどが立ち始めたからです。この二人が中心になって、自民党は憲法改正試案の要項を、この4月4日にまとめました。予想通り改
正の中心は、「戦争放棄・軍備不保持」を宣言している憲法9条と、「不戦・平和」を高らかに歌い上げている前文でした。
前の大戦で、2千万人とも言われるアジア諸国民の命を奪い、自らも数百万人の犠牲者を出した日本は、その反省の上に立って、戦後に作った新憲法に第9条
を入れました。戦後の日本をずっと支配してきた保守政権は、この9条をなし崩し的に拡大解釈をして自衛隊を作り、とうとうイラクにまで派遣してしまいまし
たが、それでも戦後60年、日本は一度も戦争に加わらず、核兵器も持たず、どこの国にも武器を輸出せずにやってきました。9条は何とか日本の平和主義を支
えてきたのです。
その憲法9条が変えられようとしています。
時代は変わった。「ならず者国家」や「国際テロ組織」が日本を攻撃してくるかもしれない。専守防衛の自衛隊では対抗することができず、他の先進諸国と同
じように正式の軍隊を持つ必要がある。そのためには、一切の軍備を否定している9条を変えなければならない。
でも、私たちはこう考えます。
自衛隊を軍隊にすれば、世界各地の紛争に巻き込まれ、危険はいっそう増すのではないか。いまこそ憲法9条を守り非戦に徹することが、日本を安全にする道
ではないか。
私たちの前には二つの道があります。憲法9条を改正し自衛隊を軍隊にして軍事大国への道を進むか、あくまで9条を守り平和国家として進むか、の二つで
す。私たちがそのいずれかの道を選ばなくてはならない時が近づいています。
そこで、それぞれの道を選んだ場合、日本がこれからどうなって行くかを検討してみたいと思います。みなさんも一緒に考えてみてください。
【1】 自衛隊を軍隊にすれば、日本の国を守れるか?
1、「ならず者国家」が攻めてくる?
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という国があります。日本人を拉致し、核兵器を開発し、ノドンやテポドンという弾道ミサイルを備え、百万人の軍隊を
持っています。核兵器さえ作ったと言われています。そして日本に対して敵意を隠していません。最近(2005年4月)、中華人民共和国(中国)でも反日デ
モが全国的に広がり、さらに大韓民国(韓国)では竹島(独島)の領有権などをめぐって反日運動が盛んになっています。ロシアとはずっと前から、北方領土と
いう火種がくすぶっています。
どうやら日本は、反日の国々に取り巻かれているようですね。なかでも一番危険なのは北朝鮮で、いつ攻撃してくるか分からない。その備えをしなくてはなら
ぬ。
私たちは、そんな危険などそれこそ杞憂だと思っていますが、わが小泉政権はそうは思ってはいないようです。この3月25日、小泉内閣は「国民保護に関す
る基本指針」なるものを閣議決定しました。「敵国」がどのようなやり方で日本に攻めてくるかを想定し、その時に国民の生命や財産をいかに守るかを決めたも
のです。ここで想定されている日本攻撃の仕方は、次の四つです。
1) 着上陸侵攻(直接軍隊を日本に上陸させる)
2) ゲリラや特殊部隊による攻撃(少数のゲリラ部隊を上陸させて攪乱する)
3) 弾道ミサイル攻撃(ノドン、テポドンを撃ち込む)
4) 航空攻撃(航空機で空襲する)
これらの攻撃に日本政府はどのように対処しようとしているのでしょうか。
弾道ミサイル攻撃に対しては、こう書いてあります。
「発射された段階での攻撃目標の特定は極めて困難。発射後極めて短時間で着弾。迅速な情報伝達等による被害の局限化が重要。屋内への避難が中心」
「みなさん、数分後ミサイルが飛んできます。家の中へ避難してください」という放送をするだけのようです。これでは国民を守れそうに
ありませんね。
航空攻撃に対しても同じです。
「攻撃目標の特定が困難なため、屋内への避難等を広範囲に指示することが必要」
今から60年前の1945年3月10日、B29の大編隊が東京を空襲しました。事前に空襲警報が出され、市民は防空壕に潜みました
が、それでも一晩で10万人が焼死しました。今は防空壕もありません。家の中に避難しただけでは全滅してしまうでしょう。
ゲリラ攻撃に対しても事情は同じです。どこかの国の特殊部隊が密かに上陸して、日本海側に並ぶ原子力発電所を一つ占領したら、ほとん
ど対処の方法はありません。この文書でも「原子力事業所周辺地域における住民の避難については、対策本部長が適切に避難措置を指示」と書かれてあるだけで
す。「国民保護法案」などとうたっていますが、政府には国民を真剣に保護しようなどとは思っていないようです。
2、自衛隊を軍隊にすれば・・・
ミサイルが発射されてからでは防ぐ方法がないとすれば、発射する前に攻撃し撃破する以外に方法はありません。もしどこかの国がミサイル発射の準備をして
いることが分かった場合、先手を打ってミサイルなり航空機で発射基地を破壊するのがいちばん確実でしょう。
ところが、専守防衛の自衛隊にはこのような先制攻撃は禁じられています。9条を改正し自衛隊を正式の軍隊にすれば、これができるというのです。そうなれ
ば一応、ミサイル攻撃の危険からはある程度逃れることができそうです。
しかし、もしミサイル発射準備の情報が間違っていればどうなるでしょうか。準備していることが事実であったとしても、その行く先が日本であるのかどうか
までは分からないでしょう。不確かな情報に基づいて不用意に先制攻撃をすれば、その先には泥沼の戦争が待っています。それは、アメリカのイラク先制攻撃が
充分に証明していることです。あの太平洋戦争も、アメリカが屑鉄や石油を禁輸して日本を追いつめ、日本は「帝国の自存自衛」のため、やむを得ず真珠湾を先
制攻撃して始まったのです。ただしその前に日本は韓国を併合し、中国を侵略していたのですが。
小泉政権が想定した日本攻撃の四つの想定、「着上陸侵攻」「ゲリラや特殊部隊による攻撃」「弾道ミサイル攻撃」「航空攻撃」は、実はアメリカがイラクに
対して行なったものと同じです。アメリカは予め「特殊部隊」をイラクに潜入させて情報を得ると同時に破壊活動をしていました。開戦になるとまずペルシャ湾
の航空母艦からミサイルと航空機で攻撃し、そして着上陸侵攻を始めたのです。
自衛隊を軍隊にすれば、このようなことも可能になります。自衛隊は守るだけですが、軍隊になれば守るだけではなくなります。防衛だけでなく攻撃にも使え
る諸刃の剣が軍隊なのです。
3、国際貢献も進む?
憲法9条改正論者のもう一つの売り文句は、「国際貢献」です。自民党の試案にも、「自衛軍は国際の平和と安定に寄与することができる」と付け加えられて
います。
湾岸戦争以来、日本国民の間に定着してきた「国際貢献」のかけ声で、アフガニスタン戦争では自衛艦をペルシャ湾に派遣し、イラク戦争では陸上自衛隊をサ
マワに派遣しました。いずれもそれぞれ特別措置法を作り、無理に無理を重ねての派遣でした。自衛隊が正式の軍隊になれば、何の遠慮もなく世界中に派遣でき
るようになります。そして、もし攻撃してくる「武装勢力」がいれば何のためらいもなく反撃し、他の国の人を撃ち殺すことも可能になります。もちろん同時に
撃ち殺される危険も出てくるのですが。要するに、いまアメリカ軍がイラクでやっているのと同じことができるようになるのです。
しかし、アメリカ軍がイラクでやっていることを見ると、これが本当に「国際の平和と安定に寄与する」ものかどうか、大いに疑問です。テロリストを根絶す
るという目的はおろか、恨みを買い、その増殖を引き起こしているのではないでしょうか。もし同じことを日本がやれば、武力を使わないということで諸国の民
衆から得ていた信頼を、一挙に失ってしまうでしょう。
真の国際貢献の道は他にあると、私たちは考えています。それは、武器を使うことなく地道に援助を続けている日本の非政府組織(NGO)の活動に見習うこ
とです。
4、「国」を守ることと「国民」を守ること
軍隊が守るのは「国」であって「国民」ではない。それを証明したのが、アジア太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)4月から6月にかけて行なわれ
た、凄惨な沖縄地上戦でした。
日本本土を攻撃する足場として占領すべく、アメリカ軍は沖縄へ大軍を派遣しました。これに対し日本は10万人の軍隊で迎え撃ちます。日本軍は沖縄の人々
を巻き込みながら約2カ月間抵抗しますが、ほとんど全滅してしまいました。同時に沖縄の住民もまた約10万人が命を落としています。沖縄住民の4人に1人
が亡くなったのです。
当時の日本の海・空軍はほぼ力を失い、たび重なる空襲で生産力も壊滅状態でした。政府はそれでも、本土決戦を呼号していましたが、同時に、「国体護持」
を唯一の条件として、講和の道も探っていました。それには時間が必要です。その時間を稼ぐために、沖縄へ10万の大軍を送ったのです。
もし日本が沖縄を非武装のままにしておけばどうなっでしょうか?
本来平和的な沖縄住民は、上陸してくるアメリカ軍を、丸腰で出迎えたに違いありません。もちろん戦争中ですから少しは悲劇も起こったでしょうが、10万
人も殺されるような悲劇にならなかったことは確実です。実際にも、日本兵を排除して丸腰で出迎えたところでは、1人も殺されなかったという事実もありま
す。大日本帝国は日本国民である沖縄住民の生命を守るつもりはなく、事実守りませんでした。日本の「国体」を守るために、沖縄住民を時間稼ぎの犠牲にした
のです。
小泉内閣の「国民保護に関する基本指針」も、その匂いがします。攻撃された場所にすむ国民の保護などそっちのけで、その犠牲の上に反撃を考えているので
しょう。
「国家を守ること」と「国民を守ること」は違うのです。前の大戦で大日本帝国という国家は壊滅しました。しかし、国民は生き残り、たくましく働いて今の
繁栄を築きました。国家を守るより、国民の生命を守ることのほうが大事なのです。だまされないようにしましょう。
【2】 徴兵制がやってくる
1、志願兵制度と徴兵制度
最近、こんなニュ?スが新聞に載りました。今年の防衛大学校の卒業生の3割が、自衛隊への任官を拒否したというのです。任官拒否は湾岸戦争のころから増
え始めたとか。一般兵員のほうも、日本国中いたるところにポスターを張って自衛隊員募集をしていても、陸上自衛隊はずっと欠員続きで定員が埋まったためし
はありません。心優しい日本の若者は、敵とはいえ同じ人間を撃ち殺さなければならない軍隊には、本当は入りたくないのでしょう。
なぜこんなことが起こるのでしょうか?
それは日本が志願兵制度を取っているからです。防衛大学校を受験するのも自衛隊員募集に応募するのも自らの意志で行なうわけで、誰からも強制されませ
ん。さらに、防衛大学校を卒業しても自衛隊へ入る義務はなく、自衛隊員になってもいつでも辞める権利を持っています。いやになれば逃げ出せばいいのです。
せいぜい「国費を使って教育したのに、けしからん」と怒られる程度でしょう。
そこで自衛隊は、年間予算5兆円の4割近くを人件費にあて、高額の給料を支給しています。また、イラクへ派遣するにあたり、自衛隊員がもし「戦死」すれ
ば1人1億円の補償をすることも決めました。こうして自衛隊は何とか、陸海空合わせて20数万人の兵員を保持しているのです。その自衛隊を軍隊にすれば、
この傾向はもっと強まるでしょう。新しい日本の「軍隊」は、膨大な予算を食い、兵員不足に悩むことになりそうです。
この悩みを一挙に解決する方法があります。それは徴兵制です。徴兵制が敷かれればどんなことになるでしょうか?
お隣の韓国は徴兵制で、すべての男子は18歳で徴兵検査を受け、合格すれば28歳までの間に2年(陸軍)から2年4カ月(空軍)の兵役に就くことが義務
づけられています。青春のいちばん大事な時期を、不毛な軍隊生活に費やすのです。北朝鮮100万の軍隊に対峙している韓国は、この徴兵制で70万人の軍隊
を何とか維持しているのです。
かつての大日本帝国も徴兵制でした。若者は二十歳になると強制的に徴兵検査を受けさせられ、合格した者はすべて軍隊に収容されます。拒否すれば徴兵拒否
として捕まえられ罪に問われます。いやでも何年間か兵役に服し、無事除隊しても、いざ戦争となればハガキ1枚で召集され、戦地へ送り込まれます。
これなら兵員不足に悩むことはなく、費用もずっと安くまかなえるでしょう。逃げ出すことができないのですから、雀の涙ほどの給料で、どんなにしごいても
いいわけです。かつての大日本帝国はこれで数百万の軍隊を保持し、アジアを侵略しアメリカと戦いました。最後に負けてしまいましたが。
2、アメリカは徴兵制
先進国の多くは徴兵制をとっています。ところが、アメリカはいま志願兵制度です。それには理由があります。移民を自由に受け入れてきたアメリカには、黒
人をはじめヒスパニックと呼ばれる中南米の人たち、アジアの人たちが数多くいます。彼らの多くは貧困層で、その生活と将来への希望のために軍隊に志願して
くるのです。その結果、イラクで戦死したり負傷したりするアメリカ兵は、これらの貧困層の出身者の比率が極めて高いと言われています。しかしそれでも、イ
ラク戦争の膨大な兵員をまかないきれず、国外には出さないはずの州兵も動員するようになりました。アメリカがアフガニスタンとイラクのみならず、さらに他
の場所にまで戦争を広げたりしたら、いずれは徴兵制に復帰することになるに違いありません。
戦後日本は、先進国の中では珍しく、貧富の差の少ない社会を作ってきました。競争を導入した結果、その差は次第に大きくなってきていますが、まだ当分
は、アメリカのように志願兵制度で戦争ができるほどにはならないでしょう。だから、憲法9条が改正されれば、徴兵制が敷かれる可能性が高くなるのです。
3、徴兵制がやってくる
憲法9条を改正し、自衛隊を軍隊にして、軍事力で北朝鮮、中国、韓国に対抗しようとすれば、そしてさらに、国際貢献の名のもとに世界の紛争地へ軍隊を派
遣しようとすれば、とうてい志願兵制度でやって行けるとは思えません。この道はいずれ、徴兵制への道に通じて行くと思われます。自民党の「憲法改正試案」
の中には、すでにその伏線が置かれているのです。それは、国民に「国防の責務」を負わせようとする試みです。
【3】 兵役の義務
1、国防の責務
自民党にはもともと、「今の憲法は国民の権利ばかり認めて義務を課していない、権利には当然義務を伴うはずだ」という意見がありました。でも本当でしょ
うか?
日本国憲法には確かに、国民の権利を保障した条文がたくさんあります。でも、国民の義務のほうももちゃんと書かれています。「納税の義務」(第30
条)、「子供に教育を受けさせる義務」(第26条)、「勤労の権利・義務」(第27条)の三つがそれです。日本人に生まれた以上、税金を納め、子供に教育
を受けさせ、勤労して自らの生活を成り立たせなければならない。不公平な税制でさえなければ、これくらいの義務はやむを得ないでしょう。しかし自民党は、
もう一つ足りない義務がある言います。
自民党の試案には、「追加すべき新しい責務」の一つとして、「国防の責務」が上げられています。
「国防の責務:国家の独立と安全は国の責務であると同時に、国民の不断の努力により保持されなければならない」
「責務」とは「責任を自ら進んで分担すること」で、「強制が可能な義務」ではないそうですが、国に「これはお前の責務だ」と言われれ
ば強制そのものになりそうですね。いわば自主規制の強制です。「国防の義務」と書けば反発が大きいと思ったのでしょう。
ところで、憲法改正論者が拠り所の一つにしている「大日本帝国憲法」、いわゆる明治憲法には、実は国民の義務を二つしか上げていません。その一つは日本
国憲法と同様「納税の義務」(第21条)です。そしてもう一つが「兵役の義務」(第20条)なのです。
第二十条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
この条文により、明治以来大日本帝国は国民を情け容赦なく徴兵し、日清・日露・アジア太平洋戦争を戦ってきたのでした。その結果数百
万人の日本の若者が戦病死し、靖国神社に祀られています。
この血腥い条文を廃止し、初めて国民に兵役の義務を免除したのが日本国憲法でした。自衛隊を軍隊にすれば、これがまた復活しそうです。そしてそれこそ
が、憲法改正論者の狙いなのだと思われます。
【4】 憲法改正の真の狙い
「ならず者国家」の直接侵略、国際テロ組織の攻撃から日本を守り、世界の紛争地域へ派遣して国際貢献を行なうために、その障害となっている憲法9条を改
正し、自衛隊を軍隊にする、というのが政府・自民党の表向き掲げている理由です。
でも、本当でしょうか?
アメリカは今、その強大な軍事力を使って世界を支配しようとしています。ところが、イラク一国に手こずっているのが現実です。欧州各国はそのアメリカの
行為を冷ややかな目で見守り、イギリスをのぞけば積極的に手伝おうとはしていません。
そこでアメリカの期待は日本に集中します。そして、アメリカに見放されてはやって行けないと信じ込んでいる日本の支配層は、憲法9条を改正し、いつでも
どこでも使える軍隊を持って、アメリカの意向に従おうとしているのです。世界の保安官アメリカの保安官助手になろうと言うのが、その真意だと私たちは考え
ています。
こんなことでいいのでしょうか?
【5】 もう一つの道
1、軍事力に頼るのは下策
他の国の攻撃から国を守る方法は軍事力だけではありません。「孫子の兵法」で知られる古代中国の兵法家孫子は、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(『孫子』謀攻篇)と述べています。今の言葉で言えば、外交で戦いを避けるほうが実際に戦争して勝つより
もずっと賢明だ、ということでしょう。
いま日本は、近隣諸国、特に北朝鮮、中国、韓国に対する外交で八方塞がりの状態です。しかし、それぞれの国と真摯に話し合い、譲歩するところは譲歩し
て、諍いの根を取り除いて行く。そうすれば攻撃されたり攻撃したりすることはなくなるでしょう。その時に日本がいちばん頼りにできるのは、実は憲法9条だ
と思います。ここで9条を改正すれば、これらの諸国との関係は、それこそ収拾のつかないものとなるでしょう。
日本はこれらの国々に対して大変な迷惑をかけました。謝罪もし、それなりの補償もしてきましたが、その謝罪や補償が実際に迷惑をかけた個人に行き渡って
いないことは、従軍慰安婦や強制連行された人々の訴訟が次々と起こされていることからも明らかです。
車で人を轢き殺した時、どうするでしょうか? 謝罪と補償はもちろんですが、「2度とハンドルは握らない」と誓い、それを実行するのが最大の反省と言え
るでしょう。憲法9条はその誓いと同じです。日本は憲法で、2度と軍隊を持たないと誓ったのです。まあ、自衛隊というバイクには乗っていますが、まだ軍隊
という四輪車のハンドルは握っていないというところでしょうか。その誓いを破り、再びハンドルを握ったりすれば、被害者の遺族が悲しみ、怒るでしょう。
外交によって侵略を防ぐためには、憲法9条の堅持が絶対条件です。これを変更するというのは、外交による国防を放棄するのと同じことだと思います。
2、日本国憲法の教える方法
日本国憲法には、武力によらない国の守り方がちゃんと書いてあります。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に
信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
憲法前文の一節です。世界の諸国民も平和を愛している、日本が悪いことをしなければ攻めてくることはないだろう、その「公正と信義」
に日本の「安全と生存」を賭けよう、というのが、武力を放棄することを憲法で表明した日本の生き方でした。
そんな甘い考えが世界に通用するものか、世界には公正と信義など通用しない国がたくさんある、ごく近くにもいるではないか。すぐそう反論されそうです。
確かに世界の国々の中には、アメリカをはじめとして、自国の国益のみを追いかけ、公正と信義のほうは棚に上げている国が多いようです。そうでないのは、
一切の軍備を持たず、逆にそれを武器にして近隣諸国の紛争の調停をやっている、中米のコスタリカくらいかも知れません。
しかし、そういう考えの人は、憲法のこの文章を読み違えていると、私たちは思います。
日本が期待しているのは、平和を愛する「諸国家」ではなく平和を愛する「諸国民」なのです。好戦的な国家はあっても、好戦的な国民、庶民はいない、時に
はかつての日本やドイツのように、政府に踊らされて侵略的になることはあっても、国民、特にその大部分を占める庶民は、本来平和愛好者なのだ。つまり日本
はこの憲法前文で、世界の国家ではなく、国民、庶民を信頼すると宣言したのです。
司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』に、こんな話が出てきます。激戦だった旅順要塞攻略戦の最終段階で起こった実話です。
「二日は正午から開城談判というのに、この日の夜明けから、ロシヤ軍陣地からぞろぞろとロシヤ兵が出てきた。「狂うがごとく、この開城(厳密にはまだ開
城ではない)をよろこんだ」と、兵站将校だった佐藤清勝という人が書いている。事実、ロシヤ兵は堡塁上に全身をあらわし、たがいに抱きあって踊っているか
と思うと、一部の戦線にあっては、日本兵も壕から出てたがいにさしまねき、両軍の兵士が抱きあっておどるという風景もみられた。なかには、日本兵が、ロシ
ヤ兵の堡塁までのぼってゆき、酒を汲みかわしたりした。さらには酔ったいきおいで日露両兵が肩を抱きあいながら敵地であるはずの旅順市街まで出かけてゆ
き、町の酒場へ入ってまた飲むという光景さえみられた。むろん軍規違反であった。しかしこの人間としての歓喜の爆発をおさえることができるような将校は一
人もいなかった。「負けてもいい、勝ってもいい。ともかくこの惨烈な戦争がおわったのだ」という解放感が、両軍の兵士に、兵士であることをわすれさせた。
このまだ交戦中であるはずの段階において、両軍の兵士がこのように戯れながらしかも一件の事故もおこらなかったというのは、人間というものが、本来、国家
もしくはその類似機関から義務づけられることなしに武器をとって殺し合うということに適(む)いていないことを証拠だてるものである」
軍司令官や将校はともかく、兵士はすべて庶民です。そして庶民はこのように、国家に強制されければ、殺し合いなどしたくない生き物なのです。そして、日
本国憲法が信頼した生き物でもあります。
とは言え、何もせずにただ諸国民を信頼しているというわけではありません。前文にはすぐ続けて、こう書かれています。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全
世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する
今の言葉で言えばまさに「国際貢献」ですね。日本国憲法は国際貢献の先取りをしているのです。もっとも、この憲法が公布されたころの日本は、国際貢献は
おろか、アメリカの余剰農産物で何とか飢えをしのいでいた時代でしたが。
小泉首相は、自衛隊のイラク派遣を合理化するために、この部分をしきりに引用しました。ただし、憲法が、9条で、それを武力を使ってやってはいけないと
規定しているところは、口をつぐんでいます。
憲法9条にはこうあります。
第九条 【戦争の放棄、戦力の不保持・交戦権の否認】
1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段とし
ては、永久にこれを放棄する。
2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「専制と隷従、圧迫と偏狭」をなぜ「地上から永遠に除去」しなければならないのか。それは、もしそれに成功すればすべての国が平和になり、武力が要らな
くなるからです。支配者が専制し、国民が隷従する。そこには圧迫と偏狭が蔓延している。まるで、どこかの国そのもののようですが、それが国際紛争の元にな
ると、憲法は指摘しているわけです。
ただし、それを武力を使ってしてはならない、というのがこの憲法の規定であって、それをやっているのがアメリカです。では、どうすればいいのか?
3、自衛隊を国際救助隊に
世界には、紛争で苦しめられている人たちもたくさんいますが、天災によって苦しんでいる人たちももっとたくさんいます。スマトラ沖の地震と津波では、実
に30万人という人が亡くなりました。イラク戦争が始まった直前、隣のイランでは、やはり地震で4万人が亡くなっています。天災は地震だけではなく、台風
や天候不順で農作物が被害を受け、飢える人たちも世界のどこかで絶えず出ています。日本でもこの1年、新潟地震を始め、数々の天災が襲ってきました。
しかし、先進諸国はなぜか、イラクに示したほど、これらの自然災害には冷たいようです。もちろんそれなりの救助活動はしていますが、規模が違います。
そこで、平和憲法を持つ日本としては、人同士が殺し合う紛争は好戦的な諸国に任せ、このすさまじい自然災害の救助専門の国になればどうでしょうか。
日本の自衛隊は、20数万の兵員と5兆円の予算、自衛艦、航空機を始めとする膨大な装備を持っています。一度にというわけにはいきませんが、これを徐々
に災害救助に向けることは可能でしょう。
戦闘機や戦車、ミサイル自衛艦などは無理としても、輸送機、輸送艦、ヘリコプター、輸送車などは、武器を取り外し少し改造すればすぐ、災害救助用に使え
ます。戦後日本は、陸軍の戦車をブルドーザーに改造して復興に大きな力を発揮しました。救助用機材のノウハウは消防関係者に充分貯えられているでしょう。
なかには鉄砲を撃ちたいという人もいるかも知れませんが、自衛隊員の大多数は、人殺しより人助けを望んでいると思います。自衛隊員から災害救助隊員にな
ることに、抵抗を感じない人のほうが多いのではないでしょうか。これまで日本国内の災害に出動した自衛隊員の活動は、それを証明しています。毎年1割を改
編し、10年で自衛隊を国際災害救助隊にする。
これが私たちの提案です。
初年度でさえ、人員2万数千人、予算5千億円の、巨大な救助隊が誕生します。世界のどこかで自然災害が起きれば、直ちに出動して救助に
あたるのです。日本の災害にももちろん出動します。2年度になると人員5万人、予算は1兆円。ヘリコプタ?を搭載した大型輸送艦を出動させることもできる
のですから、世界のどこで災害が起こっても、すぐに相当な救助活動が可能になるでしょう。非政府組織(NGO)ともこれなら協働できると思います。
自然災害はあらゆる国に起こります。「ならず者国家」にも起こるし、アメリカでも南部は毎年ハリケ?ンに悩まされています。どんな国にでも救助に行くべ
きです。ただし、紛争中の国は避けます。丸腰ですから武力の横行している国には行けないのです。
このような活動を、次第に規模を大きくしながら10年間、まじめに続けたら、世界の国々、特にその国民、庶民は、日本を信用してくれるようになると思い
ます。これこそが憲法前文に言う「国際社会において名誉ある地位」を占めることでしょう。武力にものを言わせているアメリカは、イラクを民主化したと言っ
ても「名誉ある地位」を獲得したとは言えないと思います。
日本国内も含めて、世界のどんなところでも、自然災害が起きれば日本の救助隊が来てくれる。その評価が確立すれば、日本の国防問題も自然に解決します。
こんな便利な国を侵略する国はなくなるだろうからです。そして同時に、いまいちばん問題になっている、テロ対策にもなります。そんな日本にテロ事件を起こ
す「国際テロ組織」はないからです。
4、いまこそ憲法9条の出番
日本国憲法は時代に合わなくなったのではありません。いまや時代が憲法に合ってきたのです。「ならず者国家」を武力で制圧する方法は、イラク戦争で破綻
しました。平和的手段で「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」(憲法前文)とする憲法9条の出番がやって来たのです。
温暖化による異常気象に加え、どうやら世界的に地震活動が増えてきています。この先、日本も世界も大きな自然災害に見舞われるでしょう。戦争などしてい
る暇はありません。自然災害から世界と日本の庶民を救うこと。それが現代の急務になりつつあります。その先頭に立てるのは、経済大国であると同時に憲法9
条を持つ日本しかありません。
アメリカの後ろについて世界の憎まれ国家になるか、アメリカには憎まれても世界の庶民から愛される国になるか。それが今、私たちの前に見えている二つの
道なのです。どちらの道を選ぶのも自由ですが、私たちは憲法9条を守り、武力ではなく丸腰で国際貢献を行なう道を選びたいと思います。
【6】 憲法を読んでみよう
1、憲法は政府ではなく国民のもの
本屋さんに行くと、「六法全書」という、昼寝の枕にできそうな分厚い本が並んでいます。その中に、いま日本で出されている法律がすべて書かれているわけで
す。でも、弁護士でもないかぎり、ひもとく人はほとんどいないでしょう。
もっとも、そのなかで一つだけ、極めて身近な法律があります。その名は「道路交通法」。車を運転する人ならたいてい、1度や2度は、お世話になったこと
があるはずです。もちろん暴走運転や酔っ払い運転などは厳しく取り締まってもらわなければなりませんが、時には、はるか離れた横断歩行者を妨害したとか、
滅多に来ない電車の踏切で一時停車を怠ったとかいって、隠れて見ていたパトカ?に捕まることもあります。納得はゆきませんが、たいていは泣き寝入りして罰
金を払うことになります。お巡りさんはピストルを持っていますからね。
このように、私たちの生活の隅々まで張り巡らされている法律は、社会の秩序を維持するとともに、私たちをこと細かく縛っています。そんな法律があること
を知らなかったといっても、通らないのが法の世界です。すべての国民は法を守る義務が課されており、違反すれば罪となります。これが法治国家です。
ところが、私たち一般国民が擁護しなくてもいい法律が一つだけあります。実はそれが「憲法」なのです。103条からなる「日本国憲法」の終わり近く、第
99条にはこんなことが書いてあります。
第九九条【憲法尊重擁護の義務】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ。
「憲法を尊重し擁護する義務」を持つのは天皇と公務員であり、奇妙なことにそれ以外の一般国民は入っていません。どうやら私たち一般
国民には、「憲法を尊重し擁護する義務」は課されていないことになります。
どうしてこんなことになっているのでしょうか? 憲法の始まりは、13世紀のイギリスで作られた「マグナ・カルタ」だとされています。これは、当時のイ
ングランド王ジョンがあまりに暴虐で、困った貴族たちが王様を縛るために作った憲章です。その後欧米諸国で、支配者に勝手なことをさせないように縛るため
の憲法へと発展しました。つまり憲法は、国民が支配者を縛るための法律であり、だから、支配者及びそれにつながる権力を持った人たちにのみ、「憲法尊重擁
護」の義務を負わせているのです。道路交通法とは反対に、ここでは私たち一般国民は縛るほうにおり、縛られるほうにはいないのです。
2、国民の持つさまざまな権利
これを心得て読むと、憲法には面白いことがたくさん書いてあります。第25条を見ましょう。
第二五条【生存権、国の社会的使命】
1)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(略)
どうしても生活して行けなくなった国民に適用される「生活保護法」は、この条文を元にして作られました。その内容はとうてい「健康で文化的」とは言えな
いようですが、それでも一応、生活できるだけの保障はされています。国民は保護される「権利」を持ち、国や権力者はそれを保護する「義務」を持っているの
です。
競争社会が激化し、リストラされた負け組が増えています。自力で生活する意欲を失ったニ?トと呼ばれる若者も増えてきました。競争こそ社会進歩の原動力
であると信じる競争至上主義者から見れば、この条文は目障りそのものでしょう。競争に負けても生活保護法で救われるから努力しないのだ、こんな条文はなく
してしまえ、といった意見が出てきそうです。そうなれば、健康で文化的どころか、生命の危険にさらされる多くの国民が出てしまいます。小泉首相の言うよう
に「人生いろいろ」「人もいろいろ」であり、人にはそれぞれ事情と言うものがあります。それを無視して抹殺することは許されることではありません。
最近、この生活保護費の公費負担に関して、国と地方自治体との間でもめています。国が現在4分の3を負担している割合を3分の2に引き下げようとし、そ
うなれば4分の1から3分の1に引き上げられる地方自治体(都道府県)が反対しているのです。生活保護世帯の数は今や100万世帯を超え、支給総額は2兆
円を超えているとか。競争社会の弊害の現われでしょう。しかし憲法にこの条文(25条)がある限り、国は支給せざるを得ないのです。
「奴隷的拘束及び苦役からの自由」(第18条)というのもあります。
第十八条 【奴隷的拘束及び苦役からの自由】
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
この条文は、徴兵制に対する大きな防壁です。軍隊は、それをいやがる人にとってはまさに「苦役」であり、「奴隷的拘束」そのものです。そこへ若者全てを
押し込めようとする徴兵制は、この条文の明らかな違反となります。
憲法にはこのほかにも、「国民の基本的人権」(11条)、「個人の尊重」(13条)、「法の下の平等」(14条)、「思想及び良心の自由」(19条)、
「信教の自由、国の宗教活動の禁止」(20条)、「集会・結社・表現の自由、通信の秘密」(21条)、「居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱
の自由(22条)、「学問の自由」(23条)、「家族生活における個人の尊厳・両性の平等(24条)、「教育を受ける権利、教育を受けさせる義務」(26
条)などなど、実にさまざまな国民の権利が並んでいます。「第3章 国民の権利及び義務」の中に、第10条から第40条まで実に31条にも及ぶのです。
「我々にはこんなにたくさん、権利があったのか」と驚いたのが、ここを読んだ実感です。
みなさんも一度、目を通してみてください。
【7】 まだ遅くはない
1、権利を守る義務が国民にある
日本国憲法は数多くの権利を私たちに与えてくれています。ただし、憲法はただ権利を与えただけではありません。厳しい条件も付けています。それが第12
条です。
第十二条【自由及び権利の保持責任・乱用禁止・利用責任】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを乱用してはならないのであって、
常に公共のためにこれを利用する責任を負ふ。
国の権力者は憲法を尊重し擁護する義務を持ち、国民は憲法が保障している自由と権利を、「不断の努力によって」守る責任を持っている。これが日本国憲法
の決めているところです。
ところが現在、自民党のみならず公明党・民主党の国会議員は、憲法を尊重し擁護するどころか、その改正に走っています。明らかに憲法99条違反の行為で
す。
しかし、我々国民のほうも、このような政府の行動をただ見過ごしているだけなら、憲法12条違反に問われます。9条を守り、日本をこれからもずっと平和
国家にしていきたいと思っている国民は、「不断の努力」によって憲法を守らなければならないのです。
2、まだ遅くはない
自民党の「新憲法草案」と前後して、衆議院と参議院でここ5年ばかり論議を続けてきた「憲法調査会」が相次いで最終報告書をそれぞれの議長に提出しまし
た。その多くは、調査会で各条文に関して述べられた意見を併記したもので、自民党案のような明確な方向性は出ていません。
どうやら自民党にはこんなジレンマがあるようです。
憲法9条を改正し、集団的自衛権も認め、日本を名実ともに昔のような誇り高い軍事大国にしたい。だが、憲法改正には、衆参両院の3分の2で発議し、国民
投票で過半数を獲得しなければならないという、大きなハードルがある。強硬な改正方針を出せば、公明党や民主党の同意が得られず、3分の2に達しない。
そこでやむなく、いくつかの意見を併記するにとどめた、という結果になったわけです。憲法改正案が国会に提出されるまでには、まだ相当な時間がかかるで
しょう。
今こそ我々国民が声を上げる時です。身近な場所で国会議員や候補者に、9条改正反対の声を上げましょう。それこそが9条を守る唯一の道なのです。
まだ手遅れではありません。
|